
今回のテーマは「約束」です。
世の中には様々な「約束」が存在します。
人と人の間の気軽な約束、契りや誓いといった気軽ではない約束、
学校や会社などの集団における規則や決まり、国や地方自治体等で定められる法律など、
それらを例に挙げればきりがありません。
そして、それらの約束には破ってしまっても、どうってことのない約束と、
破ってしまうと、一生に関わってくるような大切な約束が存在します。
例えば、
「今度飲みに行こうね」
などとよく別れ際にする約束なんかは、
社交辞令的な部分もあり、大抵の人はそんなに真剣に守っているわけではありません。
破ったからといってほとんどの場合、これといってどうこうなるわけでもありません。
「何時にどこどこ集合ね」
といった約束はどうでしょう?
破ってしまうとその時間に集まった人に迷惑をかけることになりますし、
自分だけ取り残されてしまうこともあります。
「赤信号は止まる」
といった約束の場合はどうでしょう?
誰にも見つからなければいいのかもしれませんが、警察に見つかればそれなりの罰則を受けます。
それならまだましですが、大きな事故に発展して命を失ってしまう場合もあります。
それでは、なぜこのような様々な約束が存在するのでしょう?
約束は「ルール」という言葉に置き換えて考えてみることができます。
集団活動を営む人間同士のあいだにルールを設けることによって、
人の行動を前もって予測しやすくなります。
そうすることにより人々は活動しやすくのです。
「明日、何時にどこどこ集合ね」
という約束すれば、
その時間にみんなが来るだろうという予測をもとに自分もその時間にそこに行きます。
「赤信号は止まるだろう」
という予測のもと、
いちいち青信号で止まって左右を確認することなく進むことができます。
「むやみに人を殺す人はいないだろう」
という予測のもとに、
現代の日本人は丸腰で気楽に外に出かけることができます。
こういった予測はすべて、
みんなが約束を守るだろうということを前提に行われています。
では、みんながみんな、約束を守らなかったらどうでしょう?
それは、考えただけでも恐ろしい世の中ですね。
このように約束とは、道徳的な話をすれば、当然守るべきという答えになるでしょう。
では、道徳的な話を抜きにして考えた場合においては、なぜ守ったほうがいいのでしょう?
私はこう考えています。
約束を破った場合、そこには必ずリスクが存在します。
そのリスクを負いたくなければ守ったほうがいい。
例えば、約束が守れなかった場合は、「信用を失う」というリスクが存在します。
信用は社会生活を営む上で最も大切なものです。
約束をした対象との間に信用がなくなれば、
最終的にはその対象を失うことになります。
例えば、ある人との大事な約束を破れば、その人は本音で付き合ってくれなくなります。
そして、何事に対しても非協力的になるでしょう。
最終的には連絡も取らなくなり、疎遠になってしまうかもしれません。
会社のルールを破り続ければ、クビになるでしょう。
企業間の取引で契約を破れば、今後の取引はできなくなるでしょう。
国の法律を破れば、まともにその国での生活ができなくなります。
ですから、私は
「失ってはいけない対象との約束は絶対に守るべきだ」
逆に言えば、
「破ってしまったらその対象を失ってしまっても仕方ない」
と考えています。
住みたい国、属したい集団、一緒に生活したい人、
そういった大事なものを失わないように、そんな対象との約束は守るようにしましょう。
人が何かを成し遂げていくためには、必ずといっていいほど周りの人の助けが必要になります。
約束を破ってばかりいるような信用のない人には、周りの人が協力してくれません。
信用はお金では買えないかけがえのない財産です。
信用を積み重ねていくことは、絶対に目標達成の近道になります。
人の信頼を得るポイントは3つです。
1.できない約束はしない。
2.してしまったのなら、必ず守る。
3.万が一、守れないかもしれないと感じた時点ですぐに前もって事情を説明する。
1と2は当然なのですが、3もかなり重要です。信用の反対は不信です。
約束を守れなかったのに長い間、連絡がなければ不信感はどんどん大きくなっていきます。
連絡がなかった時間の長さの分だけ、不信感は蓄積されていきます。
約束の大小よりも、破ってからの時間の長さがものをいってくる場合がとても多いのです。
このように人との約束はとても大切にしなければいけませんが、
もっと大切にしなければいけない約束があります。
それは自分との約束です。
自分との約束を私は「コミットメント」と呼んでいます。
人との約束を破ってしまって、信用がなくなってしまって縁がきれてしまったとしても、
新しい人間関係の中で、信用関係を築いていけば人生はいくらでもやり直しがききます。
しかし、自分との約束を破ってしまった場合はどうでしょう?
自分との約束を破ってしまった人は、自分を失ってしまいます。
自分を失ってしまった人は誰の人生を生きていくのでしょう?
実際のところ、自分と縁を切るのは、死ぬまで不可能なわけですから、
自分を信用できない状態で自分という存在を否定しながら、
本当の自分ではない自分で、生き続けていくということになるのでしょうか?
それは、とても恐ろしいことですね。
自分との約束を守り続けると自信がついてきます。
「自信」とは、「自分を信じる」と書きますが、
その言葉の通り、自分を信じることができるようになってきます。
自信を手に入れた人には、夢を予定に変える力が宿ります。
「自分は決めたことは必ずできる人間なんだ」
常にそう思っていますから、夢は未来にある現実として捉えることができます。
そのような人は、本来あるべく自分という存在で、自分らしく人生を過ごしていくのです。
ですから、できないことは自分に約束しないでくださいね。
そして、自分とした約束は絶対に守ってください。
この世には病院では治らない病気があります。
それは、「あきらめ病」です。
この病気にかかってしまったら、最後。もうどうしようもありません。
自分を信じられない人は、結局何をやっても中途半端で終わってしまいます。
その病気にかかる前に、小さな約束でいいんです。
その小さな約束を、しっかり一つずつ守り続けた先に大きなものが待っているのです。
「コミットメント」は自分との約束ですから、目標とは違います。
目標には希望的観測が含まれますが、
コミットメントに希望的な観測を含んでは意味がありません。
やると決めたら、必ず自分が実行に移せるものでなければいけません。
例えば営業の売上とかは、希望的な数値が含まれます。
しかし、何軒回るとか何時間働くとかは、やれば必ずできることです。
つまり。「コミットメント」は必ずできることでなければ意味がないのです。
必ずできる約束を自分として、その約束を守る。
これを続けていくことによって、夢は予定に過ぎなくなっていくのです。
夢を叶える人は特別なことをやった人たちなのでしょうか?
私はそうではないと思います。
夢を叶える人たちは、当たり前のことを当たり前のようにやった人たちです。
さあ、千里の道も一歩からです。
自分と約束をしてどんどん前に進みましょう!
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